【推しの子】第137話「偶像」の感想を語る!

スポンサーリンク
【推しの子】

【推しの子】第137話感想!

予想通りルビーの演技に対する是非が議論されました!感想と考察をしていきます!

スポンサーリンク

アドリブの是非・・・の前に。

まず冒頭のシーンですが、開発スタッフが監督に対して「アイの最強で完璧なイメージが崩れる」「話がまるっきり変わってしまう!」と発言していました。

いや、この映画アイの本当の姿を伝える映画じゃなかったのかよ!!

う~ん、私自身完全にそう思って読んでいたので、この発言には驚きました。そりゃたかみーとめいめいに罵倒されて泣きじゃくるアイなんて撮影せんわな。

まあ、アイの真実なんて知らない方がファンにとって都合が良いのは間違いないですし、映画自体の面白さもそういう脚本の方がウケが良さそうだと思います。しかし「結局アイ贔屓の映画」なんてアイ死去から15年後に作成する意味ないですよね。

しかも、旧B小町の内情を暴露することでアイ以外のメンバーの評価を落ちるのに、アイは今まで通りの最強で完璧な存在のままなんて、普通許可は下りないでしょう。よくニノはこれでOK出したなと思いました。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

そしてやはりアクアは、脚本の段階で端からアイの評価を貶めるような書き方をしていなかったことが分かります。アクアも他のファンと同様にアイを神聖視していた訳で、その中で次回どのような立ち回りをするのか気になるところです。

星野アイはどこにでもいる少女だったのか。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

星野アイというキャラクターは、おそらく【推しの子】という作品を作る上で一番最初に作成されたキャラクターであり、この作品において大黒柱のような存在であると思います。だからこそアイという人物を考察することが【推しの子】をサスペンスとして考察する上で重要であると個人的に考えます。

で、今回の話で語られたのは「アイはどこにでも居る少女だった」ということでした。これに関しては既に小説「一番星のスピカ」で語られていたことなので、特に驚くことではありませんね。

そして「弱い自分をまるごと覆い隠すような大きな嘘を吐いていた」と。これに関しても社会人であれば大なり小なり自分を取り繕うものなので、特に驚きはないですね。

ただアイの場合、その嘘の吐き方が常人のレベルを大きく逸脱していたと考えられます。女神様のように神格化されるほどとなると、その程度は想像を絶するもの言えるでしょう。

ちなみに、小説「一番星のスピカ」ではこのような大きな嘘を吐く前に「日本中を推したい」という精神と大きな目標をもっていたので、時系列的に違和感のある描写になっていたと個人的には感じました。加えて「愛が与えられず、人を信じられず」というのも違和感があります。

小説「一番星のスピカ」では、お気に入りのパーカーを引き裂かれた埋め合わせとして、壱護がアイに新しい服を買い与えていました。ダ・ヴィンチで語られたアイの生前インタビューでは、アイは父親が納豆巻きを綺麗に巻けることを褒めてくれたと語っています。

アイは愛が与えられていなかったのか?(アイのインタビューでの発言が嘘である可能性はありますが)少なくとも壱護の存在がある限り、これは過去の描写と完全に矛盾します。

また、原作者の赤坂アカ先生としては、5ページ目から語られる「世間・ファンのアイドルに対する見方の醜悪さ」「アイドル=偶像として崇めることでアイドルの人権が奪われる異常さ」を世間に訴えたかったのだと思いますが、個人的にはそのことに「否定はしないけど少し説得力に欠けている」かなと思いました。

確かに刺殺される直前の末期のアイは、アイドルの頂点として、目の前に見える人全てを愛する宗教上の女神様のような博愛主義者となり、周りからの協力も手伝ってどんどん神格化していったと思います。だからアイ=人形として、都合よく世間がアイを人間として見ていなかったというのも理解できる所です。

しかしルビーはまだ「日本中を推す」というような精神は持っていませんし、博愛主義の女神様の境地にも至っていないので、この話を語るのは早すぎるというのが個人的な感覚です。ルビーがアイを完全に理解するには、壱護が示唆するように「より孤独な、神のような孤高の存在」になる必要があったように思います。

スポンサーリンク

壱護、お前なんで居るねん。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

で、その壱護ですが、なぜか撮影現場に居ました。これも個人的には撮影の裏で動いていると予想していましたが、そうではなさそうですね。

壱護はアクアの脚本をどう思っているのでしょうか。「アイが胸に秘めていた孤独は多分もっと…」と言うあたり、多分本当のアイの姿を撮影して欲しかったと思うのですが、おそらく脚本の段階で待ったをかけたり、アイとたかみー・めいめいのトラブルの話を提供しなかったと思うので、個人的に大いに違和感がある描写に感じました。

というより、ルビーとかなが喧嘩する第133話からここまでずっと、小説「一番星のスピカ」の描写との矛盾がそこかしこに散見されます。まるで小説の話が無かったかのように展開が進んでいきますが、個人的にはあまり良い気分はしません。

私は小説「一番星のスピカ」はとても良い話だと評価しています。それこそアニメ3期の冒頭で6~7話くらいかけて描写しても良い位の内容で、これがあるからこそ第122話の前世バレによるゴロさりの再会もより感動的なものになると考えています。

赤坂アカ先生には(ダ・ヴィンチのインタビュー内容の件にしてもそうですが)もう少し過去に公表したコンテンツとの整合性をよく見返した上で話を書いて欲しいです。先生自身が忙しくてキチンと振り返ることが出来ていないように感じます。

雑な「天才役者」伏線の回収

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

今回の話で原作6話で描写された「天才役者」が回収されましたね。今回の演技を見た鏑木Pが「天才役者として売り出すべきだ」と提案したからだと。

これで「天才だってナイフで刺されればお陀仏」発言が、誰かがナイフで刺されて亡くなったからではなくなったと思いますので、今後の展開としてメインキャラクターの誰かが死ぬという展開になる可能性は低くなったと思います。というよりメタ的目線でも今から誰かが亡くなるというのも考えにくいですが…。

今後の展開でメインキャラクターの誰かが亡くなる可能性が低くなって安心する一方、その代償としてかなが天才役者と祭り上げられるようになりました。それを考えると、またしても有馬かなが変な役回りを押し付けられてて個人的に残念です。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

しかも有馬かなは、この撮影のつい3か月ほど前、つまりスキャンダルに遭う直前は仕事がまともにありませんでした。役者としての仕事が無かったからこそ、焦って仕事を取ろうとして島監督のスタジオに行き、結果パパラッチを喰らってしまった訳で。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

今になって「天才役者として売り出そう」とか言う位なら、原作63話でかなを再評価した段階でもっと目をかけてやる・仕事を振ってやるようなことをして欲しかったですね。そうすればスキャンダルなんて起こらなかったわけですから。

ルビかなのやり取りの目的の一つに原作6話の「天才役者」の回収があるのだとしたら、随分と雑な回収の仕方で、物語の都合という物を感じざるを得ない展開だと思いました。私は有馬かなに対して共感することが多く好きなキャラのですが、どうにもぞんざいに扱われることが多いのが不満ですね。

スポンサーリンク

雑なルビかなの仲直り

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

さらに今回の話で関係に亀裂の入っていたルビーとかなの関係が修復された描写が為されました。あれだけのことがあったのに、想像以上にあっさり仲直りした印象です。

これだけ簡単に仲直りできたのは、ルビーがかなの罵詈雑言を受けても友達であろうとしたからです。このやり取りでルビーの評価が上がる一方、かなの方は評価を下げたと思います。

なぜかなの評価が下がったと思うのか?その理由は、演技のためとはいえ罵詈雑言を並べたことに対してルビーに謝罪しなかったからです。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

有馬かなが他人に対して適切なタイミングで謝罪をしないのは今回だけの話ではありません。原作107話でかなとアクアの関係が少し修復された時、かなはアクアに助けられたことに感謝する一方、迷惑をかけたことに対する謝罪はありませんでした

原作107話、冒頭で発したのは「記事読んだ」です。普通なら「記事読んだ」と言う前にアクアに対して謝罪しますよね。かなが他人に対して謝罪をしたのは、原作104話くらいの深刻な状況になった時だけです。

赤坂アカ先生は有馬かなの評価を上げたいのか下げたいのかどちらなのでしょうか。スキャンダル編での一件でヘイトコントロールが出来ていなかったのは作者自身自覚されているようなので、今回の話づくりに関してももう少し丁寧に考えて欲しかったです。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

まあ、とりあえずルビーの評価は上がったので、それで良しという所でしょうか。ルビーはルビーのままスターになるというのは想い人であるアクアからも推されていたことですし、完全にアイを否定することはないにせよ、アイを乗り越えてドーム公演を果たすだろうというのはより強固に感じられるようになりました。

まとめ

ということで以上第137話の感想でした。

次回からようやくルビかなの話から脱出して別の話に移行しそうです。アクアのアイ像に関する話が続くかもしれませんが、次回の話は期待できそうです。

コメント

  1. 隣の芝生 より:

    今回の話でルビーは「アイはどこにでも居る少女だった」という解釈を演技で示しましたが、自分自身はそんなアイにどう向き合ったのかを振り返ってみたのでしょうか?
    自分は実の娘なのに、何年も一緒に暮らしていたのに、勝手な欲望を一方的に押し付けるだけで“星野アイ”をわかろうともしなかった。ときには処女受胎だなんだと戯言を抜かしたりして。
    …おそらくは後悔や羞恥、罪悪感に身悶えをしたのではないかという気がします。

    >「推すことは愛」「日本中を推す」

    本当、スピカで突然出てきたこの下りが引っかかりますよね。
    私はあの話を読むまでアイは「誰かを本当に愛する」ことができたら未練なくアイドルを辞められたんだろうなくらいに思ってたので少々意外でしたよ。

    >「まだまだですよ。アイが胸に秘めてた孤独は多分もっと…」

    元社長は一体どんな思いでこう言ったんでしょうね。
    ぶっちゃけこの無責任男が旧B小町に大人として誠意をもって踏み込んでいたら、やり直しがきかないくらい拗れなかったことはたくさんあったはず。
    少なくともアイに向ける熱量の何分の一でも他のメンバーひとりひとりに向けていたら、きっと何かは変わっていたでしょう。

    • ダイヤを見ながら渡る旅 ダイヤを見ながら渡る旅 より:

      >自分自身はそんなアイにどう向き合ったのかを振り返ってみたのでしょうか?

      今回の話で言及されている通り、少なくとも罪悪感はあったと思います。

      >本当、スピカで突然出てきたこの下りが引っかかりますよね

      私自身はあまり突然出てきた印象はないですが、ここら辺が今やっている話と整合性が合わないのが引っかかります。

      >元社長は一体どんな思いでこう言ったんでしょうね。

      アイが生きていた頃は、売り上げを上げることに必死だったでしょうし、実際ドーム公演まで上り詰めましたので、実績として今までの活動が100%間違っていたとは思いませんが、やはり少なからずアイの精神が消耗していたことをアイの死後に気づいたと思いますので、壱護自身後悔の念はあろうかと思います。
      なので、私は壱護を無責任男とは思いません。

当ブログを応援して下さる方は以下のバナーを1日1回クリックしていただけると嬉しいです。

当ブログを応援して下さる方は以下のバナーを1日1回クリックしていただけると嬉しいです。