【推しの子】第151話感想!
前回の続きでかなとアクアのデート回となりました!感想と考察をしていきます!
記事投稿を止めてからこれまで。
原作150話が公開されたのが2024年5月23日。【推しの子】のアニメ2期の1話目が放送開始されるまであと1か月という段階でこの上ない絶望に落とされ、感想記事の投稿を一時停止してました。
せっかく2期が始まるのに素直に楽しめないという、複雑な気持ちになりました。放送直前ともなると事前告知などで多めにコンテンツが投下されるので、それを見る度にノイローゼ気味になりました。
加えて有馬かな役を演じる潘めぐみさんが出演されている「しかのこのこのここしたんたん」のopがSNSで大バズリしたおかげでそちらでもノイローゼ気味になりました。別に潘めぐみさんも、しかのこも何も悪くないんですけどね。
そして、そんな精神状態からどうして感想記事を書けるようになったのか。それは至極単純で「何とか頑張って【推しの子】としかのこのアニメを見たから」ですね。
【推しの子】もしかのこもアニメが滅茶苦茶クオリティが高くて面白い。アニメ開発スタッフ陣のおかげで、精神的な苦痛がかなり吹き飛びました。
なんだかんだ自分は簡単に揺れ動く単純な人間だなと。ちょっとしたきっかけで立ち直ることができてしまうのだと改めて感じました。
もちろん、アニメ2期の範囲はおそらく第6章の「プライベート編」までだと思いますので、問題のこのシーンはほぼ確実に放映されるかと思います。ここがどう描写されるのか、注目して放送を見守ろうと思います。
本編感想
ということで、原作151話の感想を書き連ねていきましょうか。
それはタブーじゃないの?
冒頭はB小町のセンターとして活躍し、役者としても島監督の最新作「俯瞰」での怪演が関係者にも高く評価されていることが描写されました。一見すると「努力が実績に結びついているではないか!」と思うかもしれませんが、個人的にはいくつか疑問があります。
まず島監督といえば、読者の間でも物議を醸した「スキャンダル編」の中心人物です。事件の発端である枕営業未遂の張本人ですから、二度と作中で出すべきではないと思うのですが、作者的にはそうではないということでしょうか。
個人的にはシマカンは好きではないんですよね。映画制作時の内部政治やらコネやらに苦言を呈す割に、自分は監督という立場を利用して女性を自分のスタジオに連れ込んで遊び、そして関係を持つようなことをしていますから。
それに、そもそもかながシマカンとのコネを作れたのは、おそらく島監督が被るはずだったスキャンダルを苺プロに所属するアクアが揉み消したからですよね。露悪的に描写されていないので見落とされがちですが、やっていることはルビーが漆原Dを取り込んだ手法とあまり変わりません。
シマカンを取り込んだのはアクアであり、かなではありませんが、果たしてこれが実力の照明と呼べるかは甚だ疑問です。
次にこの天才役者という肩書は、原作137話で書かれている通り、鏑木Pの提案によって広められたものです。かなは役者としての実力はあると思いますが、決して実力だけの評価ではなく内部の人間による誇張ですから、読者側には努力の成果としては説得力があまりありません。
そもそも実績が「島監督の映画に出演」「B小町のセンターとして活躍」というのがルビーやあかねと比べると弱いです。かなは近いうちに十中八九B小町を辞めるでしょうし、YouTubeのチャンネル登録者数を100万人まで押し上げた訳でも、新人女優賞を受賞した訳でもありません。
もちろんアクアが今のかなを評価することを否定しませんし、もしかしたら今後何かしら賞を受賞するかもしれませんが、少なくとも今の実績を踏まえると過大評価だと感じます。
それはアリなのか?
そして場面はアクアとかなのデートパートへ。あまり物語の大勢に影響が部分ではありませんが、キャッチボールをする場所が個人的に気になりました。
キャッチボールを日本随一の芸能科がある陽東高校で行っています。確かに学校なら週刊誌の記者が入り込む可能性は少ないでしょうが、世間の目からも逃れられるとは思えません。
男女が学校でキャッチボールをすること自体ありふれた光景ではないと思いますし、周りから見たら逆に目立つのではないでしょうか。ましてや陽東高校なんて芸能科がある学校では男女の色恋沙汰には特に敏感でしょうし、学校でキャッチボールしたら簡単に噂が立つ気がします。
そもそもアクアはアイが過激なファンに殺害された過去があるのに、人気がそれなりに高まった現在では男女関係を匂わすような行動は是が非でも避けると思うのですが、違うのでしょうか。やはり都合よく物語が進んでいると感じました。
どうあっても長続きはしなかった。
有馬かなはもうすぐB小町から脱退します。アイドルを辞めて今抱いている夢は「アクアが自分だけを見る事」「アクアの推しになる事」とのこと。
このことから感じるのは、有馬かなはアイドルとしてどうあっても長続きしなかっただろうということです。
原作117話の段階で、かなのXのフォロワーは10万人に到達しています。ルビーはMEMに比べれば少ないと思いますが、それでも全く人気が無かった訳ではないでしょう。
有馬かなの名シーンである「アンタの推しの子になってやる」発言の時の輝きをみれば、アイドルに適性があることは間違いないと思います。しかし同時に、かなの意識がファンではなくアクアだけに向いており、アクアが原動力というのは、アイドルとして些か問題でもあります。
アイドルというのはファンに対して夢を売る職業です。アイドルビジネスは業態としては宗教ビジネスと似ており、アイドルはファン、宗教は信者を集めてビジネスを成立させます。
したがって、アイドルでも宗教でも支持者が多いほど大きな収益を得られることは間違いありません。しかし同時に、支持者数だけでなく支持者の熱狂度というのも大きな収益を集める上で重要になります。
支持者一人一人の熱狂度が高ければ、その分だけコンテンツを買ってもらえる確率が上がり、高額なコンテンツでも買ってもらえる確率が高まります。熱狂的なファンを獲得するのはビジネス上理にかなっています。
しかし熱狂度が上がるほど、厄介なファンも増えます。【推しの子】では、最序盤に熱狂的なファンがアイドルの一人を殺害してしまいました。
ファンの立場からすれば「推し活は入れ込み過ぎるな」とか「推しの幸せを素直に祝福しろ」といった意見が出てくるのは自然かと思います。しかし厄介な話ではありますが、熱狂度がビジネスと密接にリンクしている事も無視してはいけない事実だと思います。
実際、アイドル売りをしていた人が結婚を発表した途端、ファンが激減したり炎上騒ぎになって売り上げが激減したことは、過去の事例として幾つもあります。事務所側の立場からすれは無用なトラブルを避けるためにも「一定の年齢が達するまで恋愛禁止・結婚禁止」を掲げるのも自然です。
もちろんアイドル売りをしている人も人間ですから、ふとしたことで恋に落ちることもあります。なので、恋に落ちること自体は全く問題はないでしょう。
しかし交際や結婚は、ファンの期待を裏切らないためにも、それらをしても許される年齢まで待つか、そもそもアイドル売りを辞めて引退するかのどちらかを取る必要はあると思います。アイドル売りをする者としてのケジメ・行動制限というものがあるのは間違いないでしょう。
これらを踏まえてかなのこれまでの変遷を見ると、結果的にかなにとってアイドル活動は踏み台でしかなく、新生B小町に所属し続けることは爆弾を抱え続けることと同義だったと思います。かなは一貫してアイドル活動をする動機にアクアがありました。
アクアに「そこらのアイドルより可愛い」と言われたからB小町に加入し、JIFに向けた練習中も常にアクアが意識の中にありました。JIF本番では感情沈みましたが、その感情が再浮上した切っ掛けもアクアでした。
以後も一貫としてアクアに恋する乙女として描かれ、そのまま現在に至ります。正直これまでのかなの脇の甘さを考えれば、いつアクア好きが世間にバレて炎上してもおかしくなかったと思います。
したがって、繰り返しにはなりますが、有馬かなはアイドルとしてどうあっても長続きしなかっただろうと思います。ファンはかなの実態を知ることはないでしょうが、ファンはアクアのために一生懸命頑張るかなに魅力を感じているでしょうし、卒業ライブに向けたかなの精神状態としてはこれが最適だと思います。
アクアがボールを落とした意味。
さて、かなからの勇気を振り絞った愛の告白「アンタが私だけを見る事」ということばボールと共にアクアに投げられました。このボールをアクアはキャッチできず、落としてしまいます。
この描写に対し、当時SNS上では解釈が分かれていましたね。SNS上で見られた解釈は以下の通り。
②は既に進撃の巨人でジークがエレンとのキャッチボールで行われた比喩表現ですね。進撃の巨人の場合は、ボールがエレンに届かないかの如くジークの想いがエレンには届かず、結局道の世界でエレンはジークを裏切りました。
では【推しの子】の場合はどうかというと、正直どちらの解釈も有り得えそうです。ここについても、今まで通り複数の解釈が出来るようにボカしていると感じます。
今回の話はかながアクアに想いを告白して終わっており、アクアからの返答がないまま次話では場転しています。個人的な意見になりますが、前話でアクアはかなのことが好きだと明らかにしている訳ですから、そのままかなの告白に対してYESと返答する展開もあったはずです。
わざわざアクアからの返答を後回しにする必要はあったでしょうか。原作154話の内容を踏まえても、ここでめでたく結ばれていれば、かなの卒業ライブでのパフォーマンスは最高レベルまで達していたはずです。
結論、①の可能性もあるし、②の可能性もあると思います。
というより正直この時点でかなの想いに返答して、潔くアクアとかなで結ばれる展開で良かったと思います。ここでこんな表現をして読者を焦らすのは、個人的にはあまり嬉しくないです。
まとめ
ということで、以上第151話の感想でした。
非常に身勝手ではありますが、今後も自分のペースで感想記事を書かせて頂きます。漫画の更新から感想記事のアップまで時間がかかるかもしれませんが、生暖かい目で見て頂ければと思います。
コメント
現実で都内随一の芸能科がある高校はカメコ対策で校内が簡単に見えない構造になっていますよ。
十分な情報を得てから批評することをお勧めします。
分かっていないのはそちらの方です。
校内が簡単に見えない構造だとしても、原作156話に依ればプロ意識の無い週刊記者は私有地にも余裕で入ってくるそうですので、遮蔽物なんて意味を為さないと思います。
それに感想記事の方にも書きましたが、人の目は週刊記者以外にも在校生の目もあります。
芸能高校であれば、普通の高校よりも色恋沙汰には敏感でしょうから、その意味でも校内でキャッチボールは不適切な行動と言えます。
校内ならアイを失ったトラウマが発動しないというのは、余りにも都合が良すぎる展開です。