【推しの子】第142話感想!
映画のキスシーンについて、その顛末が深堀されました!感想と考察をしていきます!
やはり一部創作だったか。
冒頭は映画にアクアとルビーのキスシーンがあることについて、苺プロ関係諸氏のそれぞれの反応が描かれました。まずミヤコとかなは、これに対して否定的な見方をしていました。
まあ、妥当な意見かと思います。一般人の感性から考えれば妥当な所でしょう。
だがしかし!!MEM側の意見も分かります!やはりエンタメ的な面白さが無いと!
そのためには多少のインモラルは作品へのスパイスとして必要でしょう。どこまで攻めることが出来るのか、そのヒヤヒヤを楽しむのも映像作品の醍醐味でもありますからね。
そしてそのキスシーンですが、実はプロ作家の吉祥寺頼子と鮫島アビ子による修正によって追加されたシーンであることが分かりました。全体的に二人の修正が加わっているようですが、特にカミキとアイの恋愛に関しては何の証言も無いということで、想像が多分に含まれるそうです。
ということで、原作129話から続く諸々の撮影シーンにはエンタメが含まれ、多少事実の相違が含まれていることが分かりました。今まで感じていた違和感に注釈が加えられたので、そこは考察勢の自分にはありがたかったです。
これで原作137話までのアイの解釈議論も、あくまでルビーの心情が含まれたものと考えることが出来るでしょう。小説「一番星のスピカ」で描かれたアイは、メンバーと仲良くすることよりも「日本中を推したい」という大目標を掲げ、それに夢中になっていましたからね。
もちろん正確な時系列が分からないので、如何様にも辻褄合わせ出来そうですけど。ここら辺は【推しの子】の物語が完結しないと最終的な結論は出せません。
そしてカミキがまだ「生まれながらのイカレキャラ」なのか、「イカれてしまった原因がはっきりとあるお労しキャラ」なのか分からなくなりました。カミキがアクルビと同様の転生者かどうかも分からなくなったので、個人的には楽しみが増えて嬉しいです。
ただ、そうなると既に故人である姫川愛梨が小児性愛者かも分からなくなったと思うので、上原大輝的によくこの脚本にOK出したなと思いますね。ここはむしろ金田一敏郎当たりから証言が取れているということなのでしょうか。
キスシーンの練習は果たして出来るのか?
最後はアクアの果たすべき責任として、ルビーとキスシーンの撮影が出来るか、キスシーンの練習が出来るかという所で話が終わりました。アクアがルビーとキスをするのかしないのかは……
あえて予想はしないでおこうと思います。
正直アクアの心情に確証を持てないというか、アクアが復讐の道に突き進むのか、それとも踏み止まるのか揺れ動いている状態なので、次回の話以降で結果を見守るしかないでしょう。第三者が今のアクルビに介入してストップをかける可能性もありますし。
今のルビーは左目に☆が無いので、多分さりなとしてアクア(雨宮吾郎)に迫っていますよね。しかし、小説「一番星のスピカ」ではっきりと書かれている通り、吾郎にとってさりなは恋人ではありません。
研修医と患者の関係は、決して恋愛関係などという低俗な関係ではなく、一言で語ることのできないような、より崇高で尊い関係です。だからこそアクアは「さあな」と言ったと思います。
ここからさらにキスシーンの練習に踏み込むためには、さりなの気持ちを考慮してキスするか、あるいは復讐のためにビジネスキスをするかのどちらかになるでしょう。どちらにしてもあかねに対しては盛大な裏切り行為になる気がするのですが、果たして……。
アクルビはあくまでルビーからの矢印が大きいだけで、アクアからの矢印は大きくないですよね。ルビーは自分本位でしかアクア(雨宮吾郎)のことを考えていませんし、アクアの深い内面(PTSD)まで触れられていないので、アクアの将来に良い影響を与えられるようには思えないです。
もちろんそれはかなも同様な訳で。原作107話で指摘した「孤独感」も個人的には間違いだと思いますし。
あかねの場合、アクアのPTSDを既に把握していて、アクアの本心も把握しているように見受けられます。アクアにとって必要なのは理解者であるというのが個人的な考えです。
また、仮にアクアの転生前の雨宮吾郎の段階から夢見ていた外科医になったとしても、あかねなら付いて行けるだけの能力があります。何と言っても偏差値78ですからね。
天童寺さりなのような不幸にも病死してしまう人を救うために、役者の道(=復讐の道)から脳外科医への道へ転換するというのは、作劇としてアリだと思います。そして、それがアクあかのゴールインとして最も適当だと思うのですが、いかがでしょうか。
ということで最後はシリアスなシーンで終わりました。私はエンタメ・ギャグとしてのインモラルはアリと言いましたが、最後のようなマジな話としてインモラルをして良いかというと、個人的にはナシだと思うので、流石にそこは回避して欲しいですね。
【推しの子】は小学校低学年に人気な作品となっていますが、話の内容は既に結構エグイです。インモラルな話を、しかも主人公サイドでさらに重ねるというのは個人的には賛成しません。
その他
その他、気になった所を羅列していきます。
どこにいったの?アーくん呼び。
まずは、かなの「アーくん呼び」がどこに行ったのかという話ですね。原作124話を読んだ時も気にはなっていましたが、今回もアクアのことをアーくんではなく「アクア」と呼んでいました。
かな的にアーくんと呼ぶ余裕が無くなったのでしょうか。まあ、今までの描写を考えれば仕方ない気がしますけれども。
そう考えるとアクアとのヒロインレースで最も勝利から遠いのは有馬かなということになり、何とも無残ですね。もはやアクアから解脱させた方が有馬かなにとって幸せではないかとすら感じます。
赤坂先生もただただ最初に張ったインタビューの伏線を回収したいだけで、その後のことをきちんと担保できていないですよね。第1章にあったインタビューも第8章のスキャンダル編もやらない方がよかったのでは?というのが個人的な見解です。
脚本家は頼子とアビ子だけではないのでは?
今回の脚本相談シーンについて、吉祥寺頼子と鮫島アビ子が居るのは結構ですが、その一方でGOAが居ないのは個人的に納得いきませんでした。2.5次元編であれだけGOAアビで意気投合していましたから、その後も出番が欲しい所です。
アビ子の方が極度の人見知りだったので、カップリング成立しなかったということでしょうか。しかしアビ子の場合、GOAを逃すと他にウマが合う男性は中々いないと思います。
私はGOAアビ激推し派なので、簡単でも良いので今回の話に登場させて欲しかったです。【推しの子】でカップリング論争をするなら一番平和なのがGOAアビですから、もっと二人のその後を描写・増量して欲しかったですね。
頼子が語った「物語の影響力と責任」について。
SNS上では昨今話題となっているドラマ脚本の事件と今回の話を関連付ける声が見受けられます。個人的には今回の話の内容はそれとは関係ないと思います。
「人を殺す」だの「誰かを傷つける」だの表現が過激なだけで、作中の内容はあくまで「読者への影響」の話であり、それに対しての自覚が必要というだけの話です。進撃の巨人の作者である諌山創先生も「読者を傷つけたい」という旨の発言をしていましたし、今回の話は赤坂アカ先生の事件に対するお気持ち表明ではないと考えます。
誤植
15ページ目の2コマ目「雨宮五郎」と書かれていますが、正しくは「雨宮吾郎」ですね。原作138話の不自然な自動車事故シーンといい、お二人の執筆状況が心配になる所です。
まとめ
ということで以上第142話の感想でした。
次週は休載ということで、アクアの回答がどうなるのか、かなり待たされることになります。かなりもどかしいですが、リアルの方が忙しいので、あっさり2週間経ってしまいそうな気がします。
コメント
15巻昨日買った。雨宮吾郎直っていた
直ってましたか。まあ直すでしょうね。