【推しの子】第129話感想
映画の撮影が始まりました。今回はその撮影の様子が描きつつ、アイの内面を考察していました。
演者たちの様子
最初に描かれたのは、あかね・かな・MEMと、そしてルビーでした。とりあえずこの章では前者3人の考察をして、ルビーは次の章で考察します。
とりあえず、あかねとかなは役者としての実力が高いため、あっさりOKをもらえました。MEMも難しい役どころではないことから問題はないようです。
相変わらずあかねはシリアスとギャグの両方を同時に見せてきますね。あかねらしいギャグ描写と言えばそうなのですが、感情の置き所が分からず風邪引きそうです。
かなはすでにアクアと和解済み+アクアの内面をきちんと理解していない、MEMは現役JK(笑)としての「作中時間が経過しても変わらぬキャラクター性」があるので違和感がないですが、あかねはアクアと和解もしていないし、復讐劇に深くかかわっているので、シリアス100%かと思っていました。
あかねはアクアを両目黒星にした張本人であり、かつアクアの心理状態もよく把握しているため、「アクアくんの企みを止める」責任があります。作劇としては誰がアクアを救っても構わないのですが、ドラマとしてはやはりあかねがアクアを救うべきというのが個人的な考えです。
しかし、あかねがアクアを救う前にルビーによってかなり信念が揺らいでおり、かつアクアが復讐に向いてないことが公式からも明らかになっています。アクアを復讐劇から救い出すのは案外簡単な状況ですので、必ずしもあかねがアクアを救うとは限りません。
なんなら有馬かなですらアクアを救うことが出来てしまうでしょう。こういう状況だからこそあかねは心理的に余裕があると考えられます。
果たして誰がアクアを救うのでしょうか。
星野アイとは何者なのか
映画の製作が進むごとに生前の星野アイの内面が明らかになっていきます。
アイはトップアイドルとして多くの人間に影響を与え、アクアの復讐の根幹となっているので、ストーリー上でも中核を担う存在。しかし、ストーリーの最序盤で亡くなってしまったため、重要度が高い割にキャラ描写が少なく、これまで様々な考察が為されてきました。
今回明らかになったのは、「心の内側に隠していた怒り」。この「怒り」というワードですが、個人的には作者・赤坂アカが個人的に芸能界に対して抱えている怒り・主張も含まれていると考えます。
元々【推しの子】は、トップアイドルがファンに○害されるという現実社会でもあった事件から物語がスタートするという、かなりダークな要素を含んだ作品です。読者層を見る限り明るいストーリーを望まれがちな【推しの子】ですが、社会性を帯びた作品であることは間違いありません。
メタ的に言えばアイとは「日本の芸能界を体現・象徴する存在」と言えるでしょう。そしてストーリーを成す上でアイの外見をトレースした存在がルビーと考えられます。
そりゃあ両者が似てて当たり前ですね。転生物の作品なのにアクアだけでなくルビーと併せて双子なのも、ルビーがストーリーの軸として必要だからでしょう。
そんなアイドルの頂点に登り詰めたアイですが、アイだからこそ今まで見てきた景色・見えてきた景色があります。
今撮影している映画には、アイのバックボーンと同時に、作者が考えている芸能界への怒り・主張が込められるでしょう。それらをどれだけ作中表現できるかで、この作品の完成度、引いてはラストを飾るであろうルビーのドーム公演がどれだけ感動的なものになるかが決まると考えられます。
まとめ
何はともあれ、一あかね推しとしては、アクアとあかねが和解して復縁・結婚するまで安心できませんね。毎回【推しの子】を読むたびに緊張するし、胃が痛い(特に最近はルビーが出張っている)。
あかねはカミキの所に特攻をかける直前には「何もかも解決したら、またパフェを食べに行こう」と考えていました。もしあかねにカミキ○害の意志があれば、自分の幸せなイメージは抱かないはずなので、読者目線ではカミキ○害の意志はないことが分かりますが、アクア目線ではそれは分かりません。
というより、アクアとあかねが正式に恋人関係になってからの描写が少ない気がするんですよね。二人がどれだけ信頼を深められていたか、アクアがナイフを見てどう感じたかが読者に伝わってない気がします。
正直ネットTVバラエティ編以降は描写不足が多くて分かりにくいので、もう少し分かりやすく描いて欲しい所です。行間を読んで深い考察を視聴者にさせるなんて、この令和の時代には合ってないと思いますよ、赤坂先生・・・
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