【推しの子】第135話「傍」の感想を語る!

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【推しの子】

【推しの子】第135話感想!

ルビーとかなが仲違いしたまま、ニノがアイを罵倒する問題のシーンの撮影に入ります。今回はその撮影の前日譚ということで、今回の話の感想と考察をしていきます!

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アクアの解釈

最初の話は、「アイは仲間に見放されて悲しんでいたか」という議論でした。今更こんな議論をしていることにすごく違和感を覚えますが、それはそれとしてアクアの見解は「アイは泣いたりしない」というものでした。

これについては、半分外れで半分正解だと思います。半分外れだとする理由は簡単で、小説「一番星のスピカ」でアイはたかみーとめいめいの罵詈雑言に泣いていたからですね。

半分正解の理由は、アイは博愛主義の女神様として本心を表に出さなくなったからです。少なくともアクアが生まれる頃にはそのような精神状態になっていました。

つまりアイに対する正確な解釈は「アイは泣いたりしない」ではなく、「アイは泣かなくなった」でしょう。アイが泣かなくなった切っ掛けはまだ不明ですが、少なくともアイが最初から鉄の心を持っていた訳ではないのは自明です。

アクアはなぜこのような解釈違いをしてしまったのでしょうか。アイとゴローが病院の屋上で話をしていた時は、「嘘に嘘を重ねて、どんなに辛いことがあっても、ステージの上で幸せそうに歌う楽しいお仕事」「でも、幸せってところだけはホントで居たいよね。私たちにも心と人生があるし」って言っていたんですけどね。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

アクアがアイの本心を知らないということはないと信じたいですが、忘れてしまったんでしょうか。もしかしたら、アイの真実を語るよりアクアの復讐を果たすためにあえてそう発言したのかもしれません。

こどおじ監督無能説

そして、それ以上に問題なのが「監督がアイのことを考察・深堀し切れてない」ということでしょうか。実際に起きたイベントをハコ書きで並べてるだけって・・・

ちゃんとインタビューして人物考証しろや!

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

第128話の時に「らしい」というワードを使っていた所から、こどおじ監督大丈夫かと心配しましたが、その通りになっていましたね。第129話の強者感は何だったんだよ。

仮に監督が本物のアイを撮れなかったとしても、そこから「なぜ奥底を撮れなかったのか」で考察ができたのではないでしょうか。そして何よりアイと接点があった人物に過去話をインタビューすることで、アイへの理解を深めることが出来たはずですよね。

少なくとも壱護を取材すれば「たかみーとめいめいから罵詈雑言を浴びせられて泣きじゃくるアイ」の存在を知ることが出来たはずです。それすらしていないというのは、監督としての技量を疑わざるを得ません。

加えて有馬かなに対する間違った解釈。有馬かなの性格が社会性の低い、友達を作るのに難儀な性格なのは間違いありませんが、その有馬かなに友達が出来て欲しくてアクアを当てつけたって完全におかしいです。

友達が出来て欲しいなら、映画「それが始まり」の撮影以降アクアとかなの接点がなぜ全くなかったのかって話になりますよね。監督自身とも長い間接点がなかった訳で、目を掛けているなら、かなを自分の傍に置くべく端役でも自分の映画に出演させてアクアと共演させるべきでしょう。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

かなのクレープを食べるルビーといい、幼少期のかな・ルビー・MEMの光景といい、一体いつの頃の話か分からない回想まで付記して有馬かなを語る監督の姿は違和感しかありませんでした。

そして、案の定監督の当てが外れてルビーとかなが喧嘩しているという・・・そんなだから映画がノミネート止まりなんだよ。

こうなると一番アイのことを理解しているのは、おそらくあかねでしょう。しかし、あかねを出すと物語がどんどん前に進行してしまうから彼女の出番を増やすことができないという感じではないでしょうか。

ちなみに、裏で監督とあかねが繋がっているという個人的な予想はほぼ外れですね。映画の脚本をするに当たって、あかねの見解は全く含まれていないと考えられます。

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MEMちょ・・・

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

MEMちょもMEMちょで2人の仲違いに泣いてないで、なぜ他の人にヘルプを求めないのか。MEMちょは交友関係が広いでしょうから、フリルやあかね、ミヤコなどに相談することぐらいは出来たはずです。

もちろん相談した所で必ずしも解決するとは限りませんが、相談することでもう少し本編より冷静に二人の動向を見守ることが出来たはずです。有馬かながガンガン格下げされている件といい、どうしてもここ最近は物語の都合というものを感じます。

そこ撮影するの!?

最後はニノがアイに罵詈雑言浴びせるシーンの撮影の準備をして、いよいよ撮影という所で終わりました。

そのシーン撮影するの!?撮影許可云々どうなってんねん!!

そして逆にたかみーとめいめいがアイを罵倒して泣きじゃくるシーンは、おそらく撮影しないんですよね・・・正直そっちの方がアイの本質を知るのに重要なシーンだと思いますし、今のルビーの考察とも合致する内容だと思うんですが。

少し本編の内容から逸れて、このニノがアイの罵詈雑言を浴びせたことについて考察します。私は第132話ごろから、この出来事は小説「一番星のスピカ」でたかみーとめいめいがアイを罵倒した出来事よりも後の話だと考察しました。

しかし、あれから少しまた考察をしまして、この出来事は一番星のスピカの話よりも前の可能性もあるのかなと思います。実際アイは第9話で「アイドルになればファンを愛せると思った」って回想していました。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

旧B小町に加入した段階で既に博愛主義の女神様としての精神を持ち合わせていたとすると、アイがニノに罵倒された際は、ニノの言葉に傷ついたが涙が流れるまでには至らず、その後たかみーとめいめいにも罵倒されて遂に泣いてしまったということになります。

アイは壱護の言葉でファンレターを読み、「日本中を推す」べく立ち直ったものの、一番星のスピカの話が終了した時点ではまだ完璧で究極のアイドルではなっていなかったという流れが成り立ちます。

とすれば、アイを完璧な存在に変化させたのは、劇団ララライのワークショップで演技指導したカミキであることになります。アイにプロ意識を付けさせたのもカミキヒカルでしょう。

まあ、とりあえずニノがアイをいつ罵倒したとしても、ニノの言葉に愛などというものはなく、嫉妬100%だったと考えられることは変わりません。

撮影時は、かなは容赦なくルビーに罵詈雑言を浴びせるでしょう。ルビーがそれに対して涙を流すのか否かが要注目点です。

個人的にはルビーが涙を流すというのが、(多少の事実の相違があれど)正しいアイの姿だと考えます。そして旧B小町のアイドル活動を数年行った後、ワークショップでカミキと会う流れになると。

まとめ

以上第135話の感想でした。今週の話は違和感だらけ。

次回どう転ぶでしょうか。

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