【推しの子】第134話「奥底」の感想を語る!

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【推しの子】

【推しの子】第134話感想!

ルビーはかなの真意に気づけず、仲違いしてしまいました。感想と考察をしていきます!

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決定的な決裂

前話133話のラスト、ルビーがどういう反応をするのかが非常に注目でしたが、結果は「至って普通にかな側の真意に気づけない」という展開でした。かなにとっては都合の良い展開かと思いますが、逆に言うとルビーとかなの関係はその程度の関係ということになります。

もし信頼関係が深ければ、かなの真意を汲み取って「私の役作りのためにそういう酷いことを言ってくれたんだよね、ありがとう先輩」とか言うと思うんですけどね。実際はそんなことはなく、すれ違うことになりました。

まあ、お互いこれまでやらかしてきたことを考えたら妥当な展開かなと思います。ルビーはかな等、他人をないがしろにして躍進していた時期がありましたし、かなの方は映画監督と枕未遂をしましたから、お互いあまりリスペクトはしてないというのは自然なことかと思います。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

ただ一方で、ルビーとかなはまるで姉妹の様にお互い支え合って来ましたから、かなの言葉が本心だとしても、そこに愛があることくらい分かりそうな気がするんですけどね。う~ん、ここは結構物語の重要な分岐点だった気がします。

それにしてもかなは相変わらず辛い役回りをさせられますね。今回の件といい、スキャンダル編の主役にさせられた件といい、他作品を見回してもこれほど物語の都合で不遇な目に遭わされるキャラクターもなかなかいません

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

アクアもこういう役回りを容認しているということですよね。アクアはかなのことを信頼はしているが、大切にはしていない。なかなか容赦がないです。

ここまで酷いと、アクあか派の自分でも物語の最後に彼女に救いがちゃんと訪れていることを祈ってしまいます。そうでないと、この不遇ぶりは見ていられないですから。

フリルによるメソッド演技論

中盤はフリルによるメソッド演技論が展開されました。フリル曰く、役に入りこまないと役者としては長続きしないようです。

メソッド演技論については、形態憑依型・憑依型・自然型・狂気型と色々な型があるらしいので、フリルの語る演技論がどれだけ正しいのか、果たして役に憑依するだけが演技論なのかという疑問はあります。ただ、とりあえずここで重要なことは「この憑依型の演技論がどれだけ【推しの子】の物語に食い込むか」ですね。

旧B小町のメンバーに関する考察は以前下記記事で行いましたが、もしフリルの意見が正しいとすれば、今撮影している映画に出演している役者の精神状態と旧B小町メンバーのアイに対する感情は重なるのではないかと思います。

【推しの子】アイの居た旧B小町とは?メンバーと全容を考察する!
2023年11月の第1週は【推しの子】が休載なので、アイが所属していた旧B小町について原作155話時点での考察をしていきます。 概要 旧B小町はアイが11~12歳の時に結成されたアイドルグループです。アニメ1話の背景描写が正しい場合11歳の...

まず、かな(ニノ)は役回りとして明らかに重いのは明らかですね。映画編は主にルビーとかなの関係を深堀する物語になりそうです。

逆にあかね(たかみー)とMEMちょ(めいめい)はあまり重い役ではないと考えられます。めいめいは小説「一番星のスピカ」でアイを罵倒していたにも関わらず、演じるMEMちょはいつも通り・・・というより、「思っていても言ってはいけない」とかなに言うほどです。

他のメンバーは映画内ではモブ同然の状態ですから、アイ殺害に関しては何の関与も無いでしょうし、当然アイに対する感情もニノほど重くないと考えられます。実際アイの葬儀の際、きゅんぱんとありぴゃんと(おそらく)名前不明の子はしっかり哀しんでいましたからね。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

これらを踏まえると「旧B小町の仲は良くない」というアクアの評価は間違っていなかったとしても、ニノ以外のメンバーとアイの仲が悪かった訳でもないのではないでしょうか。なんとなく全員が全員アイに対して歪んだ感情を持っていると思いがちですが、むしろ歪んだアイ像を勝手に抱いているのはニノだけな気がします。

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アイの本質に近づくルビー

ルビーがかなから罵声を浴びせられたことで、ルビーはアイの内面を深く考察するようになりました。鏡を通して見たアイの姿はボロボロと泣く姿でした。

これは小説「一番星のスピカ」で既に明らかになっていたことですね。たかみーとめいめいの罵詈雑言にアイは人並みに泣きじゃくっていました。ルビーのこの解釈は正しい。

出典:推しの子/赤坂アカ/横槍メンゴ/集英社

しかし、アイの本質はこの先にあります「日本中を推したい」という博愛主義の精神を持つようになったことから、アイは徐々に神格化し、女神様となっていきました。だから、どんなにニノから罵声を浴びせられてもニノを愛そうとするような性格になっていったと考えられます。

皆の女神として仮面を被り微笑むアイ。母親としての理想を貫こうと娘の前で仮面を被り微笑むアイ。きっとアイドルとして成功する代償に、相当なストレスを溜め込んでいたと考えられます。

そして、おそらくその胸の内を明かすことが出来たのが、親の様にアイに対して接してきたアクア(ないしカミキヒカル)だと考えられます。DVDが2枚に分かれたのもアクアは親の様に、ルビーは娘の様に接してきた違いがあるからではないでしょうか。

今回ルビーがアイの胸の内を考察できたことで、ルビーのアイに対する理解を一歩進めることが出来たと思います。しかし、ここでアイを全て理解したとなったら、アイへの理解としてはまだ浅い気がします。

ルビーに必要なのは「日本中を推したい」という精神ですね。それによってルビーの精神がさらに壊れることになったとしても、ルビーの今後のために必要な通過儀礼であると個人的には考えます。

本当に映画は成功する?

それと、個人的に今回の話を読んで疑問に思ったことを一つ。本当に映画は成功する?ってこと。

今回の話を読んで、かなは解釈違いを起こしているように感じたんですよね。ニノがアイに対して抱いている感情は愛憎ではなく畏敬ではないかと。

アイがニノに攻撃的な言葉を受けているのは「日本中を推したい」という精神がアイに宿った後で、かつその言葉に愛はないと考えられます。しかし、ルビーがかなに攻撃的な言葉を受けたのはその精神がルビーに宿る前で、かつその言葉に愛がありました。

正直かながルビーに投げかけた言葉は、旧B小町初期にたかみーやめいめいがアイに投げかけた罵詈雑言とほとんど同列だと思うんですよね。だからルビーが「アイは胸の内で泣いていた」という解釈に至った。

本来はルビーに「日本中を推したい」という精神が宿り、その上でルビーに罵詈雑言を投げかけることで、それ対するルビーの女神様のような反応にかなが恐れ慄くというのがニノの解釈として正しい気がします。今回嫉妬心を吐き出してしまったことで気持ちが少し和らいでしまったので、もう一度同じことをやるのは厳しいのではないでしょうか。

二人の性格的にかながルビーに畏敬の念を抱く状況が考えにくいとはいえ、この違いが後々修正されるのは難しいと思います。今後ルビーだけでなく、かなもNG祭りになりそうです。

まとめ

まあ、あれだ。とりあえずルビーがかなから嫌われているなんて明らかな間違いなので、さっさと仲直りして欲しいですね。でも仲直りしてしまうとアイに対する理解から遠くなってしまうという・・・辛い。

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