【推しの子】第154話感想!
アイとカミキはなぜ決別したのか!?感想と考察をしていきます!
新たに発生した疑問点を整理しよう。
さて問題の回はこの第154話ですね。まだこれから公開される内容で覆る可能性がありますが、順を追って矛盾点を突っ込んでいきましょう。
冒頭からカミキとアイが決別した時のやり取りが過去回想で描写されました。アイがカミキの下から去ったのは「妊娠して子供ができたため、カミキが命の重さに潰されないように」という理由でした。
ここで、SNS上でも頻繁に出た疑問ですが、時系列の矛盾が起こっていますね。結論から申し上げますと、何かのミスリードで大どんでん返しが無い限り、私も作者のミスではないかと思います。
第154話が公開される前に、既に「上原夫妻の心中事件は大輝が5歳の時」「上原夫妻の心中事件はアイがドーム公演の打ち合わせの最中に行われた」ということが分かっています。時系列順の出来事は下記に纏めていますが、これを踏まえると「心中事件はアクルビ出産後に起きた」と言えます。

しかし第153話の内容も含め、アイのアクルビ妊娠が心中事件の後であるように描写されています。「心中事件⇒アクルビ妊娠⇒カミアイ決別」では、明らかに時系列の矛盾と言えます。
仮に「アクルビ出産⇒心中事件⇒カミアイ決別⇒アイ死去」だとすると、この話はアイとカミキの3人目の子供の時の描写ということになります。もし3人目の子供が居た場合、心中事件がアイ死亡より1年半~2年前となるため、アイが亡くなる前に3人目が生まれているか、あるいは死亡時に妊娠しているはずです。
死亡時に妊娠しているのであれば、司法解剖の時に妊娠していたことが発覚するでしょう。時系列ミスしているか、カミキから離れた理由が「妊娠したから」という描写が変ということになります。
最後に、アイとカミキが決別するシーンが心中事件より前、つまり「カミアイ決別⇒アクルビ出産⇒心中事件」という二重回想である可能性ですが、個人的にはこれも考えにくいと思います。なぜなら映画編での撮影の時、アイとカミキが決別するシーンを撮影する描写が無かったからです。
以下に、原作146話の感想記事でも掲示した映画のカット番号と撮影内容の表を示します。
原作話数 | カット番号 | 撮影内容 |
129話 | カット34 | アイが快活に事務所に入るシーン |
129話 | カット35付近 | 旧B小町アイドル活動序盤 |
136話 | カット57 | アイとニノの決別 |
139話 | カット66 | ワークショップへの勧誘 |
139話 | カット70 | 少年Aと邂逅 |
139話 | カット74 | ワークショップ後 |
140話 | アイとカミキの会話シーン | |
141話 | シーン8 | 姫川愛梨の糾弾 |
144話 | カット118 | 病院にて |
145話 | カット127 | 駄々をこねる娘 |
145話 | カット130 | 親子によるダンス練習 |
145話 | カット136 | やけに賢い息子 |
146話 | カット139 | すれちがい |
146話 | カット141 | 裏切りの発覚 |
146話 | カット147 | 清十郎の激高 |
146話 | カット150 | 姫川夫妻心中 |
146話 | カット156 | 命の重み |
146話 | カット162 | アイの拒絶 |
146話 | カット170 | その方法しか知らない |
146話 | カット202 | たった1つの願いすら |
原作146話ではカット162として「アイの拒絶」というシーンがあります。「拒絶」と書かれているため、ここが今回の話のことではない可能性がありますが、もしそうだとしても、アイとカミキの決別という重要なシーンを撮影する描写が作中で無いのは違和感があります。
またアイの生涯を描く映画で、時系列順に映さずシャッフルするとも考えにくいです。映画の内容はアイとカミキの決別シーン以外は時系列順となっているのに、アイとカミキの決別シーンだけ時系列順ではなく心中事件の後に映すというのは明らかに変な構成です。
そもそもの話として、メタ的な目線で見れば「二重回想」というのは漫画表現として非常に分かりづらいです。「分かりやすさ」と言うのは漫画を面白くするのに重要な要素のため、プロの商業作家がこんなミスを犯すとは考えにくいです。
ということで、二重回想の可能性は無いと思います。
最終結論としては、赤坂アカ先生は時系列ミスを起こしており、正しい時系列は「アクルビ出産⇒心中事件⇒カミアイ決別⇒アイ死去」であり、アイがカミキから離れた理由を「出産したから」という部分を直すべきと考えます。
片寄ゆらを殺害した理由と経緯。
ここからは、作者が時系列をミスしたと仮定して、それでも残る謎について書いていきます。
今回の話では、アイを刺したリョースケ(原作128話では亮介だが、なぜか原作154話では良介)に住所を教えたのはカミキだと自白しました。「まさか殺すだなんて想像だにしてなかった」とのことですが、だとすると片寄ゆらがなぜ亡くなったのか不明です。
アイが自分のせいで死んだことでさらに狂ってしまい、ゆらを殺害したということでしょうか。だとしても、このゆら殺害がアクアと同様に罪悪感に苛まれている点と整合性が付かないと思います。
正直、片寄ゆら殺害がこの話の説得力を欠いたものにしていると個人的には感じます。
ゴロー殺害の経緯。どうやって病院を突き止めた?
次に、仮にアイとカミキの決別が心中事件とアイ殺害の間の出来事だとしても、ゴローが殺害された経緯が不明です。映画のカット番号通りの時系列であれば、カミキがアイの入院場所を知るのは容易ですし、カミキはアイが心配で病院に来たということで説明が付きます。
しかし、リョースケの方はどうやってアイが妊娠したことを知り、アイが入院した病院を突き止めることが出来たのかが分かりません。カミキとは別の協力者が居ないと成立しないと思うのですが、いかがでしょうか。
とはいえ、リョースケに協力者が居るとなると誰が犯人になるでしょうか。一番有り得そうなのはニノですが、もしニノの場合、アイが亡くなってから16年後の話である小説「45510」の語り手ではない可能性が高くなります。
ニノも黒幕であることが発覚して、物語が完結する前に警察に逮捕されると、ニノは小説内で語られた旧B小町初期メンバーで作成したブログを削除することが出来なくなります。もちろん小説の語り手はニノ以外にも渡辺である可能性があるので、必ずしもニノである必要はありませんが。
ちなみに、リョースケにあかねと同等かそれ以上の探偵力があるとは思えません。ゴローを殺害したのは衝動的かつ短絡的に行ったように思いますし、アイが入院した病院を突き止められるような頭を持っているとは思えないです。
アイはなぜこのような回りくどいことをしたのか?
アクアはカミキには誤解があると反論し、カミキの前でアイが遺したDVDを流します。そこにはアイがカミキに嘘を吐いて決別した理由が語られていました。
アイ曰く「カミキがアイに依存するようになってしまい命の重さに押し潰されて壊れる寸前だったことと、アイ自身がカミキを背負えないため、妊娠を機に居なくなることにした」と。アイはカミキを愛していたし愛したかったが、愛し方が分からなかったとのことです。
アクアはこの内容を「アイの15年の嘘」とし、「アイからの時を超えたラブレター」と解釈しました。そして同時に、アイを理解しなかったカミキへのアクア達からの復讐としました。
しかし、この点にも疑問が残ります。まず「アイがなぜアクアとルビーにDVDを遺したのか?」という点です。DVDを遺すという行為自体が、アイが死期を悟っていたかのように感じさせます。
ダ・ヴィンチ1月号には生前のアイへのインタビューが掲載されていましたが、そこでも「B小町は本当にいいグループになって来たので、これで私が居なくなってもきっと上手くやってくれる」「これからもずっとずっと彼女たちのことを応援してあげて欲しい」ということが語られています。
ゆら殺害の件はさておき、カミキがリョースケにアイの住所を教え、その時点でリョースケに殺意が芽生えたとすると、アイがDVDを遺したのはカミキ・リョースケの件とは別の要因があると考えられます。
もう一つは「なぜアイはこのような回りくどいことをしたのか?」という点です。今回の話で動機は明らかになりましたが、具体的な手段としてアイはカミキを突き放し、DVDを遺すことでアクアとルビーにカミキを救うよう託しました。
しかし、こんな回りくどいことをしなくても、直接カミキに寄り添ってカミキの力になっていれば、こんな悲劇は起こらなかったはずです。カミキに嘘を吐かず、素直に自分の想いを話し、カミキと一緒に子供を育てていれば、芸能界の闇に侵されたカミキを救うことが出来たはずです。
「私達が居なくなれば、きっと彼は大丈夫」とはどうして思ったのでしょうか。個人的にはロジックが繋がらず、違和感がありました。
なぜアイはカミキのことを愛したいと思うようになった?
前回と今回でカミキがアイのことを愛しており、その理由も過去の描写から分かりやすく明示されました。一方アイは、そもそもなぜカミキのことが好きになったのかが結局分からないままです。
カミキとアイの話が今回以降も深掘りされるのかは気になる所です。
この話でやりたかったことは何か?
今回の話は色々と矛盾が発生していて、SNS上ではその矛盾点を指摘する声が多くありました。これだけ多くの矛盾点を発生させておきながら、赤坂アカ先生が描きたかったことは何か?
個人的な見解ではありますが、今回の話を読んで、カミアイの関係とアクあかの関係を対比的に描きたかったのではないかと感じました。
片寄ゆらの件でどうしてもノイズではありますが、カミキはアイを殺めてしまったことに罪悪感を感じています。これはこれまで何度も罪悪感を感じていたアクアと同じです。
対する女性側はアイが妊娠が発覚し、「結婚しよう」と言ったカミキに対して「荷が重い」「背負えない」「私は君を愛せない」と言ってカミキの下から離れたのに対し、あかねはアイとは反対に「依存ではなく自立した人間二人が寄り添うことに意味がある」「アクアが抱えているものを一緒に背負いたい」と発言しています。
この「背負えない⇔背負いたい」「依存する⇔依存しない」は明らかに対比的に描かれていると思います。こういった対比構造を優先して描こうとした結果、これまで出た事実との矛盾が生じてしまったのではないでしょうか。
まあでも、アクアはかなの方が好きみたいだから、アクあかENDは無いですけどね!!!
正直、ここで対比構造を出しても結局結末は変わらないでしょうし、後述しますが「ホント何でこんな書き方したんや・・・」という感想です。
今回で分かったアイとカミキの人となり。
さて、次はアイとカミキの決別シーンについて言及します。このシーンのアイのカミキの突き放し方も個人的には気になりました。
前回153話ではラストで「私達もう会わない方が良いかな」と発言しています。カミキがなぜと聞くと「妊娠したから」と返します。
妊娠したことをわざわざカミキに言う必要があったでしょうか。黙って家から出ていけば良かったはずなのに、さらにアイはカミキに畳みかけます。
カミキの「結婚しよう」に対して「無理!」とストレート発言。さらに「一生カミキと一緒は荷が重い」とし、トドメとして「大輝はカミキと愛梨の子供だよね?」というカミキの傷に塩を塗るような発言が続きました。
これだけの発言があれば、カミキから恨まれるのも無理はないでしょう。「私は君を愛せない」と言われたカミキは久方ぶりにアイの方から電話が来ますが、ここでも「子供たちに会わない?」「いや、寄りを戻すとかそういうのじゃなくてさ」とカミキの気持ちに配慮の無い発言が続きます。
確かにカミキは連続殺人犯に成り果てていますし、その意味でカミキにはしっかりと裁かれるべきだとは思います。しかし、そのようにカミキが狂う原因には間違いなくアイの発言があると、今回の話を読んで思いました。
アイには、致命的に人の気持ちが分からず、心無い発言をしてしまうことがこれまで多々見られています。原作28話において、あかねはアイを「発達障害の傾向」と分析しており、これは確かに的を射ていると思います。
今回カミキに対する配慮の無さが明らかになりましたが、同様に旧B小町のメンバーに対しても他人のことを慮らずズケズケとストレートに発言していたのは容易に想像できるでしょう。他のメンバーと軋轢を生むのは当然と言えます。
加えてアイは結成時唯一小学生で、かつメンバーの中で最年少でした。アイの言動だけでなく、年齢面でも他のメンバーのプライドが傷ついたと思います。
しかし、アイにはこれらの不平不満を黙らせる程の実力がありました。アイの人気はグループをドーム公演にまで導くほどであり、だからこそ壱護は、アイに対する嫌がらせに対しては厳しく対処したし、アイ以外のメンバーはアイに付いていく覚悟を決め、信者化していきました。
また映画編でルビーがアイの演技に苦労していたのも、何となく理解できます。アイには発達障害などの障害を持っていたと考えられる一方、ルビーには精神疾患の類は見受けられないからです。
原作137話では、ルビーが演じたアイが本物のアイか議論になりました。これを見ると、世間がアイを偶像として過度に膨らませたことや、普通の女の子と同様に他人の罵詈雑言で傷つき涙することは正しいと言える一方で、アイは決して普通の女の子ではないと考えられます。
このように、改めて振り返るとアイというキャラクターに一貫性があるのが分かります。今回の話は矛盾が多いので今後修正されるかもしれませんが、これまでのアイ関連の事象に対する理由付けは今回の話で一気に出来るようになった印象です。
一方でカミキは、少なくともアイに拒絶される前までは普通の感性を持っていたことが伺えます。様々な出来事によって狂う前のカミキは、間違いなく芸能界の闇に侵された被害者でした。
普通の感性を持っていた幼いカミキに、障害持ちの傾向があったアイのことを100%理解できるでしょうか?私は非常に酷な話であり、無理があると思います。
アクアはアイを理解しなかったカミキの方に非があるように語っていますが、この話を読む限りアイにも少なからず非があるように思いました。そして同時に、男女関係というセンシティブな項目に嘘や建前を交えると望まぬ悲劇を招くのだと、この話を読んで感じました。
アイの生涯を踏まえたルビーへの期待。
ルビーは、映画編を経てアイへの理解を進めました。その中でアイを再評価したことも、知りたくなかったこともあったことは間違いありません。
ルビーがアイを100%理解することが出来たかどうかは怪しいです。しかしアイの人となりを踏まえると、100%理解する必要があったかと言われると違うでしょう。
原作137話で、少なくともルビーは「アイのようにならず、ルビーはルビーのままスターになる」ことを宣言しました。アイの影を追わず、アイとは別の道を進むことで、私の中でルビーがアイを超えるアイドルになる期待がより高まりました。
今回の話では最後のページでルビーが登場していましたが、ルビーが今回の話を踏まえてどのようなことを話すのか気になります。
アカ先生死体蹴り止めてください(泣)
最後になりますが、今回の話で株が下がったのがあかねです。あかねは映画撮影の前にナイフを持ってカミキの所に単身で乗り込もうとしていました。
今回の話で、カミキは片寄ゆらを始めとする様々な人を殺害したサイコキラーとはいえ、アイに関しては罪悪感を感じていました。カミキがこの程度の男であるならば、DVDの映像をカミキに見せればカミキの誤解は解けていたでしょうし、連続殺人も止まったのではないかと思います。
あかねがナイフを持った真意についてはまだ確定していません。しかし、どちらにせよナイフを持つ意味はなかった訳で、今後の展開でフォローが無ければ、ただただあかねの株が落ちただけと言えます。
加えて、入れる意味が良く分からないカミアイとアクあかの対比構造ですよ。私が過剰反応しているだけかもしれませんが、もうアクかなで殆ど確定しているのに、わざわざ入れる意味があったでしょうか。
原作149話で既に精神が歪んだあかねを見せられた上でこれとは、アカ先生はあかね派に死体蹴りでもなさるおつもりですか?あかねの評価がガンガン下がっているのですが、これは物語が完結する前にフォローがきちんと入るのでしょうか。
仮にアクアとあかねの復縁は無理だとしても、せめて仲直りくらいはして欲しいですね。でないと、このままではあかねというキャラクターは救われないまま、ただアクアにとって都合の良い存在で終わってしまいます。
まとめ
ということで、以上第154話の感想でした。
今回の話の矛盾は大筋の流れには影響はないかと思いますが、単行本にする際に、整合性が付くように内容の修正が必要だと思います。次回以降の展開に期待です。
最後になりますが、【推しの子】がモンスターストライクとコラボしました!本記事でも下に画像を掲載させて頂きます。
まずは星5-6キャラとしてルビー。ライブの可愛い衣装を着た姿。
次に有馬かな。こちらもライブ時の衣装です。
最後にアクア。なんとJIFでオタ芸をかます姿が獣神化後のイラストでした。笑って良いのか感嘆した方が良いのか分からないですね。
星4-5キャラはMEMちょとあかねでした。MEMちょは原作での活躍を考えれば仕方ないとして、あかねがこうなるのはアニメ1期の範囲の出演量が影響しているでしょうか。
アイはパック限定キャラになりました。SNS上で1000円で買える完璧で究極のアイドルとか言われてて笑いました。
性能はダメージギミックに対するアンチアビリティがありませんが、友情コンボの威力がルシファーと同等となっています。性能がパック限定キャラの中では過去最高の性能です。
そして注目は、今回のコラボで原作にはないモンスト限定のイラストが降臨キャラとして登場した点ですね。
ルビー・かな・MEMちょは共に星5-6降臨かつビーチで遊ぶ姿ということで、どれも可愛いです。
星4-5降臨はアクアとメルトでした。メルトお前出てくるんかーい!いや、好きだから良いけどね。
そして、超究極はなんとあかねでした!良かった。モンスト運営はあかねを見捨ててはいなかった。
美しすぎるでしょ・・・。しかも降臨の中で一人だけちょっとえっちぃという。最高です。
超究極のあかねは、原作再現として友情コンボが「コピー」が採用され、ストライクショットはアイと同じになりました。アイと性能を似せるとは、モンスト運営さん分かってる。
ミッション報酬では、幼少期のアクルビがゲットできます。可愛い。
ということで皆さんも興味があれば、モンストをインストールしてプレイしてみてください。コラボ期間は2024年8月2日11時59分までです。
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